住宅の様式
1.寝殿造(しんでんづくり)
(源氏物語絵巻より)
寝殿造は、平安時代から中世にかけて成立した上層階級の住宅の形で、現在の和風住宅の源流といわれています。
寝殿造の柱は円柱で、身舎(もや)と廂(ひさし)という大陸伝来の構成に、日本風に板で床を張り、濡れ縁をめぐらして、外部との境は板戸・蔀(しとみ)戸(ど)で囲いました。
壁はほとんどなく、私的な生活には御簾・几帳を用い、ハレの宴には屏風・衝立・畳といった調度を使って室内を調える「室礼(しつらい)」という習慣が生まれました。
一般には、遣唐使による大陸文化の伝来が途絶えて以降、国風化の過程でうまれたというように語られることが多いのが寝殿造です。
実際の遺構は残されていませんが、絵巻物などを通してその様子をうかがい知ることができます。
2.書院造(しょいんづくり)
(二条城二の丸御殿黒書院)
書院造は、中世に武家が台頭してきたことに伴い、寝殿造りを元に武家住宅の広間として定型化したものです。
書院の原型は足利義政が慈照寺(銀閣寺)東求堂に造った同仁斎(1485(文明17)年)に始まり、様式として完成したのは園城寺(三井寺)光浄院客殿(1601(慶長6)年)であるといわれています。
光浄院客殿は近世初頭の木割(きわり)の伝書「匠明」 所収の「昔主殿の図」によく似た間取りなのですが、今にいう書院造の建物全体の構成がこのころ定められたようです。
柱は面取り角柱で、座敷(「畳を敷きつめた部屋」の意)には、座敷飾り の場である押板、帳台構(本来寝室である帳台(納戸)との間仕切)・出書院といった要素が現れています。
紙漉きの技術と工具の発達によって明障子という建具が生まれ、室内での過ごし方は大きく変化しました。
城郭や寺院建築の中では、金泥濃彩の障壁画や上段に折上げ格天井(ごうてんじょう)を備えた格式高い対面所として発展します。現存する代表例としては二条城二の丸御殿(1603(慶長8)年)や西本願寺対面所(1630(寛永7)年移築)が挙げられます。
もうすこし時代が下ると押板は床(とこ)に変化します。
3.数寄屋造(すきやづくり)
(桂離宮新御殿)
古くは茶座敷を「数寄屋」といいましたが、のちには風流を好む人が構えた形式ばらない座敷や、あえて粗末な材料を用いたつくりを数寄屋造といいました。
書院の形式であっても面皮柱(めんかわばしら)であったり、長押(なげし)をまわさないもの、もしくは面皮の長押・丸太や竹などが用いられた座敷は数寄屋風書院といいます。
丸太を加工する技術は熟練を要するものであり、数寄屋を得意とする大工は数寄屋大工と称されます。
壁はもっぱら聚楽塗のような土塗壁で、壁や造作の各所に繊細な技法が施されます。
数寄屋造の代表例と言えば桂離宮の新書院(1662(寛文2)年頃)でしょう。
1933年ブルーノ・タウトが桂離宮を近代的なデザインに通じるところがあると評価しました。
また、1930年代前後に吉田五十八が近代数寄屋といわれる住宅を設計しはじめたところから、数寄屋の意匠の一部はモダニズムに近づいていきました。
その後、伝統的な数寄屋についての本格的な研究成果も現れて、近代の数寄者の間で名物道具の収集とともに優れた数寄屋が数々うみだされたことがひろく評価されました。
こうして数寄屋の意匠は幅広く現代の和風建築のもととなっていったのです。
4.茶室
茶室は様式を表すものではありませんが、便宜上ここで茶室について記載いたします。
茶室は、建築、庭園から各種の美術工芸を包括する総合芸術といわれます。
日本人の生活のさまざまな場面でその影響をうかがい知ることができます。
茶は平安時代初期に仏教とともに中国から伝来しました。
室町時代には闘茶という茶寄合(ちゃよりあい)が流行し、やがて厳格な格式を備えた書院の中で行われる「殿中の茶」が成立します。
茶の湯開山と称される村田珠光が主客同座の「座敷の茶」を始め、武野紹鴎から千利休に至って「侘び茶」が完成しました。
利休の草庵茶室は露地と一体に構成され、わずかな寸法もゆるがせにしない緊張した侘びの造形を追求したといわれています。
公家の間ではくつろいだ雰囲気の茶屋が愛好されました。
近世になると武家、公家、町人のそれぞれの茶の湯と茶の施設が洗練されていきました。
茶の湯の世界ではデザインすることを「好む」といい、名席といわれる茶室を敬意をもって「写す」という作法があります。
これは、茶室をつくるための技術をひろめ、価値観と美意識を共有するのに優れた手段です。
昭和の後半から平成にかけて、建築史家・建築家である中村昌生先生と京都伝統建築技術協会の設計による古典の写しや復元をふくむ公共の茶室の整備が全国各地で行われました。当社もそのうちのいくつかの施工をさせていただいたことで、たくさんのことを学ぶことができました。
茶室のつくり方に、決まりごとはあってないようなもので、生半可な知識をもって知っているとはいえない奥深いものです。
しかし今後もいろいろな方々の教えを乞いながら、すこしでも伝統技術を後世に伝えていくお手伝いをさせていただきたいと考えています。
5.和風-和モダン
和風という言葉は単に「日本的な」という場合だけでなく、芸術や生活文化の各方面で多くの人が日本的だと思う要素が一部分でも含まれていれば使われます。
一番よく目にするのは料理の分野かもしれません。
和風建築というカテゴリはとても広い範囲をカバーしています。
伝統的な木造建築を見慣れた人には「これが和風?」と思えてしまいそうなものもあります。
和風のなかでもさらにもう少し洋風に振れた建築デザインを和モダンというようです。
和モダンは今のところ俗語に近い言葉ですが、不動産業界や設計事務所の間でもよく使われています。
畳に座る生活習慣が失われかねない昨今ですが、それでも障子を好む人は多く、和紙を使った照明器具、和食器の多彩さ、日本の織物の美しさは生活を彩っています。
和モダンという言葉は、和風の雰囲気を心地よいと思う気持ちは多くの日本人の中にずっとあり続けるということを端的に表している言葉のように思われます。